活動報告のアーカイブ

過去の活動報告をご紹介いたします。

令和二年予算委員長を拝命しました

(令和2年3月5日)

令和二年度の予算案に対する集中質疑を行う予算委員会(令和2年3月5日~23日)において、委員長を務めさせていただきました。

新型コロナウイルスの国内での感染が確認され始めた時期で、出席理事者の調整、マスク着用の有無、質問者席の消毒など、委員会運営に関して、議会事務局の皆さん、運営委員の皆さんと試行錯誤しながらの委員会運営となりました。

新型コロナの状況が刻々と変化する中、区の情報提供のあり方、区予算への影響、経済対策、マスクや消毒液の確保、保健所の対応、区職員の在宅勤務の実施など、実態が見えない未曽有の災禍に対する幅広い質疑が行われました。

また、一昨年の台風十九号による浸水被害の総括と再発防止、地域行政制度の在り方、認知症条例、ふるさと納税、副区長三人体制、児童相談所の移管など、区の重要かつ喫緊の課題についても様々な視点から質疑があり、有意義な委員会となりました。

委員会の最後の委員長挨拶では、円滑な委員会運営に協力いただいたことに感謝申し上げると同時に、日夜、週末を問わずコロナ対策に当たられてる区職員および保健所の方々に感謝の念をお伝えしました。

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台風19号の対応と対策

(令和元年10月12日)

十月十二日土曜日の夜から未明にかけて台風十九号が上陸し、関東・甲信・東北地方に大きな被害をもたらしました。世田谷区においても、二子玉川駅北側、野毛・玉堤周辺で大きな浸水が発生し、合計五千三百人余りが避難、五千軒以上が停電するという、近年では例のない大きな被害となりました。

我々消防団員は、前日十七時から水防態勢が発令され、いつでも出動できるよう自宅待機、情報収集にあたっておりました。十二日の二十一時頃、吉沢橋付近で野川が越水しそうだとの情報が入り、緊急参集となりました。

吉沢橋において土嚢積み作業を終えたところ、150メートルほど上流の鎌田一丁目付近にて浸水被害が出ているという情報が入り、既に排水作業中であった第五分団二部と合流し、一部と三部のポンプ合わせて三台での排水作業を行いました。午前一時過ぎには排水作業も完了し、撤収となりました。

明けて月曜日には決算委員会の補充質疑ということもあり、自民党世田谷区議団では早朝に役員会を開催し、補充質疑の中で区の対応の不備を質すと同時に、毎年のように発生する水害に備え、区の対応の改善点や国・都に対する要望をまとめ、緊急要望という形で区長に手渡しました。

具体的には、区の情報収集の不足、避難所の指定の遅れ、避難所での人員不足、区ホームページが閲覧できないなど、区の災害対策の不備を指摘し改善を迫ると同時に、道路・橋梁・電気・水道・通信といったインフラの安定化・早期復旧、二子玉川兵庫島付近の堤防未整備地区での堤防の早期整備を国や都に対し申し入れることを要望いたしました。

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姉妹都市バンバリー親善訪問

(平成29年10月28日~11月1日)

世田谷区とオーストラリアのバンバリー市との姉妹都市提携25周年の記念式典および友好親善行事に、議員団の一員としてバンバリー市を訪問させていただきました。

バンバリー市では、姉妹都市提携25周年の記念行事として、日本映画祭、ラグビー親善試合、記念碑の設置および除幕式、姉妹都市再確認の調印式およびレセプションが開催され、市を挙げて世田谷区との姉妹都市関係を歓迎し、これからの継続も希望されることを表明いただきました。レセプションにはケリー・サンダーソン西オーストラリア州総督や在パース日本国総領事館の平山達夫総領事ご夫妻も列席されるなど、盛大なものとなりました。

これら行事の合間には、世田谷区と生徒の交流を行っているパークフィールド小学校やカセドラルグラマースクールを訪問して子供たちと交流を図ると同時に、今後の交流事業の継続や拡大をお願いして参りました。また、知的障害を持つ子どもたちの私立養護学校であるカレッジ・ロー・スクール、高齢者市民センター、地域コミュニティの核となるバンバリーライフセービングクラブ、児童相談機能を持つ子ども家庭支援局やヘッドスペース、森林保護施設等を視察させていただきました。

加えて、バンバリー市議会の表敬訪問、現地で資源採掘を行う日本企業であるシムコアオペレーション社や州南西部の観光や産業の開発を行う南西開発公社も視察させていただき、バンバリー市長のブレナン氏をはじめ、市議会議員の方々、国際交流委員の方々、小中学生交流事業受け入れ先の学校の方々との交流を通じ、両市の相互理解や友好関係を深める機会となりました。

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糸魚川大火被災地視察

(平成29年1月28日)

昨年暮れに、新潟県の糸魚川市で、およそ四万平方メートル、百四十七棟を焼失する大きな火災が発生しました。以前、お隣の上越市で半年ほど単身赴任した経験があり、糸魚川にも仕事で何度か訪れたことがあったため親しみがあり、議員として、また消防団の一員として、出火からひと月余り経った、一月二十八日に現地を視察をしてまいりました。

現場は糸魚川駅北側の木造家屋が密集する地域で、出火元である中華料理店の裏側は、幅員四メートル以下の、いわゆる狭隘(きょうあい)道路で、消防による消火活動に支障をきたしたとのことです。 さらに当日は、「姫川おろし」と呼ばれる秒速二十メートルを超える強い南風が吹いており、町の北側へと延焼していきました。

出火元から百メートルほど北側にある、幅員十一メートルあまりの「本町通り」では、延焼を食い止めるべく必死の消火活動が行われました。しかしながら、折からの強風にあおられ、飛び火もあり、残念ながら道路を越えて延焼し、日本海に達するまで延焼しました。

このような大火災の中、1 軒だけ焼失を免れた家屋がありました。家主の方は、平成十九年の中越沖地震の後、丈夫な家をと設計・建築されたとのことで、雨どいやエアコンの室外機は熱で溶けて変形しているにも関わらず、家屋そのものは無傷に近く、鎮火後すぐに家に戻って生活されているとのことでした。

災害時には、耐震性や耐火性の高い家屋が生命や財産を守り、生活再建を早めることを示しました。 区内でも木造家屋密集地域、狭隘道路、延焼遮断帯となる都市計画道路が完成していない地域が多数存在します。首都直下地震等による区内の被害想定によると、六十二件の出火件数に対し、全焼棟数は二万二千棟余りと、一件の火災で三百五十棟以上の建物が焼失する計算になり、震災時には糸魚川よりも大きな火災が区内至る所で発生することが想定されます。

このような大きな火災では、消防による消火活動は風下にある幅が広い道路で延焼してくる火を待ち構え、そこから先への延焼を食い止めることしかできません。狭隘道路の解消に加え、延焼を遮断する幅員の大きな道路を整備し、建物の不燃化を進めることが、大規模災害時の被害を減少させ、区民の生命・財産を守ることに直結します。

今後、社会保障費や公共施設の更新費用の増大が見込まれる中、今こそ、火災に強い街づくりを進めなくてはなりません。

糸魚川の視察を受けて、二月十四日から開催された平成二十九年第一回定例会および三月の予算委員会において、延焼遮断帯となる都市計画道路の充実と狭隘道路の解消に加えて、地域の住民・事業者・共同住宅管理者の責任や役割を明確にし、地区防災に関わっていただくことを定める、より実行力の高い地区計画の策定を求めました。

また、地元で商売を営み、様々な専門知識や経験を持ち合わせた人材が多い地域の商店街に対して、日ごろからの防災啓発や、震災時の初期対応、備蓄や避難所運営など、地区防災への協力を求めるべきと訴えました。

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熊本地震被災地視察

(平成28年7月1日)

平成28年7月1日、熊本地震の発生から二月あまり経過し、混乱が一段落して復興途中にある熊本の被災地を視察してまいりました。

熊本市の復興総務課主査の池田さんにご案内いただき、特に被害の大きかった益城町や熊本市内の被災地域、熊本市の中央区役所および東区役所内の罹災証明の発行窓口の様子、建設中であった市内の仮設住宅などを視察後、翌日には市庁舎が壊滅的な被害を被った宇土市の視察に伺いました。

益城町では倒壊した家屋がそのまま残されており、熊本市内南部の地盤が弱い地域では液状化による傷跡も多く見られました。政令市である熊本市は、人口がおよそ七十四万人で五つの行政区に分かれており、自治体の規模や組織が世田谷区と似た部分も多く、地域によって被害状況が大きく異なり、それによって避難所の運営や罹災証明の発行業務の状況が違うなど、大いに参考になりました。

また、近隣の宇土市、益城町など五つの市町では、役所の庁舎が損壊したり、余震で倒壊する恐れがあるなどのため、使用を中止して役場機能を移転させました。宇土市では、市役所から徒歩五分ほどの体育館を臨時の市役所として使用していましたが、著しく被害を受けた元の庁舎には立ち入りできないため、資料等を持ち出すこともできないとのことでした。

これらの市町では、庁舎の耐震性が低いことを認識しながら、財政や建物への親しみなど様々な理由から建て替えを先送りしてきた間に地震に襲われました。世田谷区においても耐震性に問題のある本庁舎の建て替えを遅滞なく進め、震災に強い機能を備える必要性を強く認識しました。

益城町では、商工会が中心となって、営業できなくなった飲食店や物販店を集めた復興屋台村が六月にオープンし、私も土産物を購入してきました。

九月から始まった第三回定例会では、熊本視察で学んだ内容を世田谷区に反映させるべく、震災対策について重点的に質問しました。

全壊家屋が二千四百戸あまりであった熊本市で発行した罹災証明は十一万を超えました。世田谷区では、首都直下型地震による被害想定において、揺れによる全壊家屋が六千棟あまり、火災による全焼家屋が二万二千棟あまりと、熊本市より多くの罹災証明の発行が想定されます。

熊本でも、罹災証明の交付に何度も足を運んだり、何時間も待たされた挙句、後日来るように言われるなど、大きな混乱が報じられましたが、義援金の受け取り、融資や公共料金の減免、仮設住宅の入居など、生活再建に欠かせない様々な支援を受けるために必要な罹災証明は、「遅滞なく」交付しなくてはなりません。

世田谷区でも、罹災証明の発行に際して、迅速かつ臨機応変に対応すべく、被害にあわれた方の身近にあり、震災時には拠点隊となる、まちづくりセンターでの対応を検討するように求めました。

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初めての本会議一般質問

(平成27年6月17日)

6月17日、初めて本会議での一般質問に立ちました。

議員の役割はたくさんありますが、最も重要な役割の一つが付託をいただいた3608名の思いを背負って役所に意見を伝えることです。なかでも本会議場での一般質問は、区長はじめ全ての部署の部長が集まる場所で、区民の代表の一人としてあるべき方向性を示し、区の見解を伺う大切な場所です。

初めてということもあり、緊張しながらの質問でしたが、選挙中に訴えてきた内容を兎に角まっすぐに伝えるため、しっかりと準備をして臨みました。

選挙中に一丁目一番地として訴えたことは少子化対策についてです。すぐに解決できる問題ではありませんが、急速に進む少子高齢化の中、区として少子化対策に取り組み、我々現役世代が安心して二人目、三人目と子供を産み育てられる環境整備を整える必要性を訴えました。

二つ目は、震災時における町会・自治会との連携についてです。震災時の消防による消火活動、救出活動には限界があります。消防団や町会・自治会を中心とした共助の体制を整えることが必須であると訴えました。

三つ目は防犯カメラの設置促進についてです。世田谷一家殺人事件から15年を前に、凶悪犯罪を未然に防ぎ、早期解決につながる防犯カメラの設置促進を要望しました。

四つ目は育児不安の軽減と児童虐待防止について。核家族化が進むにつれ、私の周りにも育児に悩む家庭があります。結果として児童虐待に繋がり、不幸の連鎖を断ち切る取り組みを要望しました。

最後は、中学校の教科書採択と近現代史の教育について質問しました。中学校の歴史教科書採択を前にして、学習指導要領の内容を十分に踏まえた、公正な教科書の採択を要望しました。

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成城消防団操法大会

(平成27年5月24日)


©Seiji Arai

平成27年5月24日、第42回成城消防団可搬ポンプ操法大会が多摩川河川敷の白バイ練習場にて行われました。

地域の防災を担う消防団の練度を競う操法大会に、本年度は選手のリーダーである指揮者として出場しました。

昨年は2番員として出場し、7分団中5位と悔しい思いをしたので、第5分団としても雪辱を期した大会となりました。


©Seiji Arai

本年度は選挙直後の大会ということもあり、4月から始まる練習にも半分しか参加できず、皆に迷惑を掛けたので気合が入っていました。

また一番員を岡本に住む兄が務め、兄弟での出場ということもあって、何とか結果を出したいという気持ちが大きかったです。

地域の皆さんの期待も大きく、直前の激励会や当日の会場での応援に大勢が駆けつけていただき、選手も団員の皆も嬉しい限りでした。

指揮者の力不足、練習不足、経験不足はいかんともしがたく、残念ながら7分団中今年も5位と残念な結果となりました。


©Seiji Arai

内容もタイム、行動減点とも昨年より悪い結果となり、順位以上に今年のチームの力不足が露呈してしまいました。

全ての結果は指揮者である私の力不足です。来年は指揮者の指導員として携わる予定ですので、今年の反省を来年に生かして、来年は地元の皆さんの期待に応えられる結果を残せるように全力を尽くします。

当選のご報告

(平成27年4月27日)

4/26投票の世田谷区議会議員選挙にて3608票、全体の39番目で当選させていただきました。

本当にお手伝いいただいた皆様、応援いただいた皆様のおかげ様です。区政には是々非々で対応し、お託し頂いた議席に対してしっかりと責任を果たさせていただきます。

今、この国の政治に対する信頼は揺らいでいます。世田谷区議選は投票率が若干上がった(41%→42%)ものの、統一地方選全体では過去最低を記録し、政治不信は底を打つ気配がありません。それも、この国の政治が旧態依然としたままで自浄能力がなく、有権者が一票を投じる意味を感じられないからに他なりません。結果として組織票を持つ政党が議席を伸ばし、新しい力が入る余地が益々なくなるという悪循環に陥ったままです。

このままでは一部の既得権を守る政治・行政が続き、1000兆を超える国と地方の借金は更に増え、少子化のなかで次世代の子供たちの負担は加速度的に増大し、遠くない未来に日本は破たんします。1000兆を超える借金は、場当たり的な政治を続けた私たち現役世代が残した次世代の子供たちへのツケです。私たち大人は子供たちに借金でなく明るい未来を残さなくてはなりません。

政治不信を払しょくし、信頼できる政治家としてリーダーシップを発揮して次世代の子供たちが未来に夢や希望を持てる世田谷にするため、人生を捧げる覚悟です。

沖縄遺骨収集

(平成27年2月8日)


IVUSAの石原くんと

2/8~2/10まで、沖縄県糸満市にて遺骨収集ボランティアに参加しました。

沖縄南部には「ガマ」と呼ばれる鍾乳洞のような自然洞窟が多くあり、太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民や日本兵の避難場所として利用されました。

米軍の攻撃が激しくなるにつれて、撤退する日本兵と住民はガマごと攻撃されたり自決に追い込まれたりして、多くの日本人がガマの中で亡くなりました。

沖縄戦での犠牲者18万6500余のうち、未収集の遺骨は約350柱とのことですが、70年経った現在でも手つかずのガマが1000カ所以上あるそうです。

厚生労働省による遺骨収集は約115万柱が眠る海外や小笠原での活動に集中しており、沖縄本土での遺骨収集が年々困難になっているとのことです。

私たちは日本青年遺骨収集団(JYMA)主催の自主派遣に参加し、国際ボランティア学生協会(IVUSA)など160名を超える学生たちと一緒に活動を行いました。

これほど大掛かりな遺骨収集は過去に例がないとのことで、一行にはフランスメディア、NHK、フジテレビ系列の地方局といったマスコミも同行していました。

2/8~2/10まで、沖縄県糸満市にて遺骨収集ボランティアに参加しました。

私たちの入ったガマからは小指大の人骨と銃弾5発、液体が入ったアンプル3本、軍靴2足などが出てきました。

全体としては推定で12柱、頭の骨や子供の顎の骨、身元判明に繋がった印鑑、ハーモニカなどが発掘されました。

発掘した遺留物からガマでどのような活動があったのか推測し思いを馳せ、遺骨を丁寧に並べ拝んだあと、平和記念公園にある仮安置所へ納骨します。

身元を判別できる遺留品が見つかる可能性のある場所から出てきた遺骨に関しては、発掘が終わるまで別に保管され、身元が判明したら遺留品と一緒にご遺族へ届けるそうです。


白梅の塔近くのガマにも潜り、
手を合わせてきました

遺骨収集作業は70年積もった土砂を掘り返すことから始まり、体力が必要です。ジャングルや洞窟を進むので、危険も伴います。

獣骨や軽い石などと間違わないよう、人体の骨格や特徴の勉強も欠かせません。私は専門家と一緒だったのでお手伝い可能でしたが、JYMAやIVUSAの学生たちは一日座学をしてからの参加だそうです。

帰京してから私のFacebookを見てくれた方に、「私の叔父も見つかっていないんです。頑張ってね」と言われ、この活動の必要性を実感しました。

海外での戦没者約240万人のうち、日本に送還されたご遺体は約半数の約125万柱であり、約115万柱は今でも旧ソ連の極東地域、小笠原、マリアナ諸島に残されたままになっています。

成城消防団操法大会

(平成26年5月25日)


©Seiji Arai

平成26年5月25日、第41回成城消防団可搬ポンプ操法大会が多摩川河川敷の白バイ練習場にて行われました。

火災や水害、あるいは震災時に活動する消防団、日常から訓練をしていないといざという時に何もできません。

成城消防団は地域ごとに7つの分団があり、普段の訓練の成果を年に一回操法大会で競います。


©Seiji Arai

リーダーである指揮者の下、1番員から4番員、補助員も含めた6名の選手がそれぞれ役割について規律、速さ、正確さを競うものです。

およそ60メートル前方の火点までホースを3本繋ぎ、後方にある水槽からポンプで吸水し、ホースの先から放水します。

更に、家屋等の中に前進して火元を消化することを想定して、ホースを一本増加して更に20メートル前方の二つ目の火点まで進み、放水します。

そこまでのタイムを競うのですが、2番員はポンプと放水地点との連絡やホースの運搬を担うので、ホースを担いで60メートルほどの距離を3本全力疾走します。

2年前の操法大会も2番員で出場し銀メダルを獲得していたので、今回は常勝軍団の6分団さんを脅かすくらいの成績を目標に出場しましたが、残念ながら7分団中5位と振るいませんでした。

それでも前回よりタイムも規律減点も改善されていたので、他の分団の練度が向上し成城消防団全体の能力が向上したと言えるでしょう。

本年の操法大会(5/24)は、指揮者として出場する予定です。